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中世思想原典集成 第2期
── 全2巻 ──
── 全2巻 ──
分売いたします。詳細は下記まで。
中世ヨーロッパを中心に古代から近世までのキリスト教神学・哲学関連書籍・文献を網羅する原典訳叢書第二弾!
中世思想原典集成 第2期 全2巻 各巻詳細
中世思想原典集成 第2期 真理論・上
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商品NO:BSH-90071/A5判/954頁/発行:2018.3
編集・監修:上智大学中世思想研究所/訳:山本耕平
『真理論』は、1256年から1259年にかけて著された、パリ大学神学部教授のトマスが、学生たちとの「討論」に基づいて執筆した「討論集」である。講義し、討論し、説教するという三つの活動が、中世の大学教授の職務であった。その職務の一環として実際に行われた討論にかなりの編集を加えて著されたのが『真理論』なのである。 |
中世思想原典集成 第2期 真理論・下
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商品NO:BSH-90072/A5判/1010頁/発行:2018.3
編集・監修:上智大学中世思想研究所/訳:山本耕平
トマス・アクィナス Thomas Aquinas 1225年頃 - 1274年3月7日
中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者。シチリア王国出身。ドミニコ会士。
『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者である。
カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人。
イタリア語表記ではトンマーゾ・ダクイーノ。
『真理論』は、1256年から1259年にかけて著された、トマスの比較的初期に属する作品であり、パリ大学神学部の教授に就任したトマスが、学生たちとの「討論」に基づいて執筆した「討論集」である。 講義し、討論し、説教するという三つの活動が、中世の大学教授の職務であった。 その職務の一環として実際に行われた討論にかなりの編集を加えて著されたのが『真理論』、より正確には『定期討論集 真理について』なのである。 『真理論』は全部で二十九の「問題」に分かたれる。 『真理論』というタイトルは、その第一問題のタイトルに由来するものであって、この著作の全体が「真理」の問題を取り扱っているのではない。この著作は、あくまでも、実際に行われた「討論」を集成した「討論集」であって、『神学大全』や『対異教徒大全』のように、最初から綿密な構想のもとに書き進められた体系的著作ではない。 だからといって、『真理論』は、何の連関もない二十九の「問題」が乱雑に並べられたものでもない。この著作は、「真理と知識」について取り扱った前半と、「善と欲求」について取り扱った後半に大別することができる。 前半において取り扱われる、「真理と知識」に関わる問題群は、次のとおりである。 「真理について」「神の知について」「イデアについて」「言葉について」「摂理について」「予定について」「生命の書について」「天使の認識について」「天使の知の伝達について」「精神について」「教師について」「予言について」「脱魂について」「信仰について」「上位の理性と下位の理性について」「良知について」「良心について」「無垢の状態での最初の人間の認識について」「死後の魂の認識について」「キリストの魂の知について」。 全体は、「真理と知識」というテーマを軸にゆるく繋がり合っており、神の知から天使の知、人間の知へと進んでいくという大まかな流れを有している。 他方、後半において取り扱われる、「善と欲求」に関わる問題群は、次のとおりである。 「善きものについて」「善きものへの欲求について」「神の意志について」「自由決定力について」「感能について」「魂の情念について」「恩寵について」「罪人の義化について」「キリストの恩寵について」。 これらの問題群は、それぞれ独立させて読解することが可能なものであり、第一問題から順番に読み進めなければならないものではない。 スコラ学的な「討論」というものが、いかに詳細綿密なものであり、かつ明晰なものであるのか、読者の関心に応じて、どの問題からでも味読できるようになっている。 本書を的確な仕方で読み進めていくためには、著述の形式について或る程度理解しておくことが必要である。 二十九の「問題」のそれぞれは、いくつかの「項」に分かたれる。 「項」の数は合計で593に及び、そのすべてが共通の構造を持っている。 すなわち、まずいくつかの「異論」が挙げられ、次に、「異論」に反対する「反対異論」が挙げられ、トマスの見解がまとめて述べられる「主文」の後に、「異論」および「反対異論」に対する解答が来る。 『神学大全』もまた、全体が三つの「部(pars)」に分かたれるということを抜きにすれば、『真理論』と類似した構造を有している。だが、『神学大全』の場合には、実際に行われた「討論」に基づいているのではなく、「異論」や「反対異論」の数も絞り抜かれ、かつ、「反対異論」はトマス自身の見解と非常に近い誰かの見解が紹介されることが多いため、「反対異論」に対する解答が述べられることは滅多にない。「初学者のための入門書」を意図して著された『神学大全』と比べると、『真理論』においては、より複雑で込み入った議論が展開されているのである。 初期の著作である『真理論』は、三十代前半の仕事とは思えないほどの完成度の高さを有するものである。だが、晩年の著作である『神学大全』において、類似した問題がどのように異なる仕方で解決されているかということを比較して読解することによって、トマスが常に自らの思索を洗練させ、見解を改定していく柔軟さを有する哲学者であるという事実がありありと分かってくる。既に完成しているようにさえ思われる思索が、更なる完成へと開かれた奥行きのあるものでもあることが見えてくるのである。 また、『神学大全』においてはごく簡単にしか言及されていない問題が、『真理論』においては多数の「異論」との対話のなかでより詳細に取り扱われていることが多いので、『神学大全』を読むだけでは解決のつかない問題が、『真理論』を読むことによって解決することもしばしばある。 「入門書」ではない『真理論』は、スコラ学についての基本的な知識を有さずとも簡単に解読し尽くせるような書物ではない。だが、そこにおいて展開される議論の森へと分け入っていく読者が、そこから何も得ずに出ていくこともまた困難な書物である。多くの読者にとって、納得のいく議論は、しばしば、トマスの与える解答(「主文」と「異論解答」)のうちにではなく、トマスの最終的な見解とは異なる「異論」や「反対異論」のうちにこそ見出されるかもしれない。トマス自身、取り上げるに値する見解と考えていたからこそ、「異論」や「反対異論」として、自らの作品のうちに残したのであるから、そのような読み方も、充分可能なのである。 『真理論』が取り扱っているキリスト教神学や中世哲学という分野は、我が国においては、一般にはさほど馴染みのない分野である。また、キリスト教徒の数も多くはない。 だが、どのような読者であっても、神学や哲学という分野に多少の関心を有するかぎり、『真理論』のうちに展開される様々な見解のうちに、自らの見解と共鳴しうるような様々な神学的・哲学的諸見解を見出し、自らの思索を発展させていくための手がかりとなりうる多くの素材を見出すことができる。 そうした討論集の精華である『真理論』の日本語訳が刊行されたことを言祝(ことほ)ぎつつ、擱筆したい。(山本耕平訳) |