小学校中退でありながら独学を続け、多数の新種を発見し命名した牧野富太郎。
「日本植物学の父」と言われるその生涯を、美しい植物画や標本とともに紹介する決定版!
草木を友に、花を恋人に。情熱だけを頼りに、まっすぐに生きた94年の生涯──。
雑草という草はない 目次
▶巻頭エッセイ
幼き魂を抱いたもの 朝井まかて
▶牧野富太郎の庭
高知県立牧野植物園
練馬区立牧野記念庭園
▶総天然色マキノ植物画博覧会
▶わたしは草木の精である ── 植物博士の人生図鑑
解説=田中純子
少年期 天然の教場に学ぶ
青年期 大志を抱いて上京
壮年期 波乱万丈の研究生活
晩年期 わたしは草木の精である
▶博士の意思を継いで百余年
牧野植物同好会
▶
東京都立大学 牧野標本館 わたしのハァバリウム
▶牧野が認めた江戸の植物画家
関根雲停
▶富太郎写真館
▶標本作りの苦労
── 牧野鶴代
▶インタビュー
「草を褥に木の根を枕……」 牧野一浡
▶エッセイ
科学的精神に支えられ 大場秀章
粋人伝説「蝶タイ姿の生涯草木少年」 坂崎重盛
牧野をめぐる旅から 竹内一
画像・写真:クリックで拡大
「雑草という名の草はない」。小学校中退ながら理学博士の学位を得て、多数の新種を発見し命名を行った“日本の植物学の父”。
その活動と成果を描くビジュアル版自叙伝の決定版。
植物博士の人生図鑑 目次
▶あるいは草木の精かも知れん
▶牧野式植物図 ―― とことんまで精密
科学的精神に支えられ ―― 牧野富太郎の植物画
▶牧野式評伝草篇 ―― 青年牧野。そして、植物採集のことなど
ただ私一人のみ生まれた ―― 郷里・高知佐川でのこと
手稿 年少時代ニ抱懐セシ意見
…など
▶牧野の実り ―― 図鑑と標本と蔵書
牧野日本植物図鑑
私のハァバリウム
…ほか
▶牧野式評伝木篇 ―― 暮らしや、晩年のことなど
石版屋がとりもつ ―― 初恋物語
春早く葉に先だちて可なり大なる白花を ―― コブシについての手紙
…ほか
▶庭の草木の中に生き ―― 晩年の牧野
日本植物学の父と呼ばれた牧野富太郎。
花と植物の魅力の真髄を語った表題作、「私は植物の愛人」と軽口を飛ばしつつ研究人生を振り返る「植物と心中する男」などを精選。
なぜ花は匂うか 目次
▶なぜ花は匂うか
▶植物と心中する男
▶世界的の稀品ムジナモを日本で発見す
▶若き日の思い出
▶松竹梅
▶ツバキ、サザンカ、トウツバキ
▶仰向け椿
▶スミレ講釈
▶桜
▶夏の植物
▶カキツバタ一家言
▶富士登山と植物
▶バナナは皮を食う
▶狐のヘダマ
▶うきくさ
▶蓮の話
▶菊
▶アケビ
▶イチョウの精虫
▶ススキ談義
▶野外の雑草
▶漫談・火山を割く
▶著者略歴
▶もっと牧野富太郎を知りたい人のためのガイドブック
▶永遠の牧野少年 梨木香歩
画像:「なぜ花は匂うか」より:クリックで拡大
画像:「植物と心中する男」より:クリックで拡大
画像:「植物に感謝せよ」より:クリックで拡大
牧野富太郎 まきの とみたろう 1862年5月22日(文久2年4月24日)~1957年(昭和32年)1月18日)
日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し、命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。旧制小学校中退でありながら理学博士の学位を取得した。誕生日である4月24日は「植物学の日」に制定された。
94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を超える。野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、「日本植物学の父」と言われる所以である。
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