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山下清 ── あるがままの自分に正直に生きよ ──

山下清|学習と教育を支援する通販会社-YTT Net

 商品NO:BSH-164
 A4変判/160頁/発行:2021.7

「裸の大将」として親しまれた放浪画家・山下清。
おかしみのある言葉や感性光る言葉を、貼り絵作品とともに紹介。
『きょうの猫村さん』の作者、ほしよりこのマンガも掲載する。
 監修:山下浩


山下清 あるがままの自分に正直に生きよ 内容詳細



目次



▶山下清   やました きよし  1922年(大正11年)3月10日~1971年(昭和46年)7月12日
東京府東京市浅草区田中町(現・東京都台東区日本堤1、2丁目辺り)に、父・大橋清治、母・ふじの長男として生まれる。翌年に関東大震災によって田中町一帯が焼失すると、両親の郷里である新潟県の新潟市(現・中央区)白山浦に転居する。その2年後の3歳の頃に風邪から重い消化不良で命の危険に陥り、一命こそ取り留めたものの、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う。
その後母子で東京に戻るが、生活の困窮で、母子家庭のための社会福祉施設「隣保館」へ転居。母の旧姓が山下であるため山下清を名乗るようになる。
学校でも勉強についていくことができず、知的障害児施設「八幡学園」へ。この学園での生活で「ちぎり紙細工」に出会う。1937年(昭和12年)秋には、八幡学園の園児たちの貼り絵に注目した早稲田大学講師戸川行男により早稲田大学で小さな展覧会が行われたほか、1938年(昭和13年)11月には同大学の大隈小講堂にて「特異児童労作展覧会」が行われ、清の作品も展示された。そして1938年(昭和13年)12月に、東京府東京市京橋区銀座(現・中央区銀座)の画廊で初個展を開催、1939年(昭和14年)1月には、大阪の朝日記念会館ホールで展覧会が開催され、清の作品は多くの人々から賛嘆を浴びた。
18歳の時に突如学園を脱走し、1940年(昭和15年)11月18日から1955年(昭和30年)6月までの間、放浪の旅を繰り返し、20歳の時に、受けることになっていた徴兵検査を受けたくなかったため、更に放浪を続けた。この記録は『放浪日記』(1956年(昭和31年))にまとめられた。
戦後は「日本のゴッホ、「裸の大将」と呼ばれた。1956年(昭和31年)の東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。1961年(昭和36年)6月、式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を絵に残した。
晩年は、東京都練馬区谷原に住み、『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳で死去した。
清は驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」・「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残している。海外の研究者などの中には、清の持つ軽度の知的障害と結びつけサヴァン症候群だったのではないかと考える者もいる。とりわけ、花火が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げている。旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだった。


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