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楽市楽座はあったのか

楽市楽座はあったのか|学習と教育を支援する通販会社-YTT Net

 商品NO:BSH-543
 四六判/356頁/発行:2020.2

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楽市楽座はあったのか 内容詳細



自由かつ平等な空間を実現する〈信長の専売特許〉政策とされてきた「楽市楽座令」。
中世から近世の転換期に何をもたらし、何を残したのか。通史上の新しい位置づけを試みる。
   著者:長澤伸樹

目 次
はじめに――創られた「自由」、有事と背中あわせの「平和」
第一章 「楽市楽座」を疑う
中世史と近世史、それぞれの評価
「楽市楽座」をめぐる研究
見直すべき四つのポイント
古典的理解からの脱却へ
中世の市をめぐる慣習
戦国大名と市
「楽」ということ
実は数例しかない「楽市楽座」
楽市場と都市
第二章 戦国大名と「楽市楽座」
法令としての広がり
自由を保障する楽市(石寺)
権力すらも容易に介入できない場所
石寺新市はどこにあったのか
商人たちの慣習を尊重する六角氏
商人たちにも根付いていた「楽市」の意味
「楽市」になっても市は永続しない
国境に出された家康の「楽市」(小山)
かつての敵地に新市を開く家康の意図
国の境目に立てられた市
「楽市」は商人を招き入れる広告塔

家格秩序を踏まえた「楽市」(世田谷)
北条氏が世田谷を重視する理由
吉良氏という名門への配慮
「楽市」は地域へのアピール材料
復興策としての「楽市楽座」(北野)
北野市に対する利長のスタンス
強固な後ろ盾がない条件下で
差別化と譲歩から生まれた特権
村の成り立ちを支える「楽市」(白子)
白子の救済が領国経営を維持する要

聖なる地の平和を保つ「楽市」(富士大宮)
治安悪化が往来を妨げる
聖地の混乱がもたらすさまざまな影響
今川氏が理想とする地域のあり方
諸役免除が認められない「楽市」(荻野)
諸役免除がない理由
荻野が選ばれた理由
世田谷の「楽市」掟書との違い
大戦の影響を回避する「楽市」(嶋田)
中継地点だから重視された嶋田
史上最後といわれる「楽市楽座」(黒野)
町の治安を保障することがねらい
「楽市」と諸役免除は別のもの
第三章 織田信長と「楽市楽座」
軍事・政治色の強い「楽市楽座」(金森)
真宗寺院と門徒の結びつきを警戒する信長
市の開設からはじまる金森の新たな支配
金森と軍事基地・守山のつながり
復興を加速させる信長掟書
織田方の町場再生を見せつける
初めて見つかった秀吉の「楽市」(淡河)
重要な基幹産業こそトラブル回避
追認される旧来からの市と商い
秀吉は淡河のみ「楽市」とする
補給地点の確保を伝える「楽市」宣言
市をめぐる経済戦争としての播磨出兵

もっとも早い信長の「楽市」(楽市場)
そもそも斎藤氏が反映させた場所
楽市場はどこにあったのか
楽市場は誰が立てたのか
最初の課題は来場者の増加
斎藤氏時代との決別というアピール
「楽市場」は住民と結んだ平和条約の場
宣教師が見た岐阜城下の市の賑わい(加納)
経済復興を後押しする「楽市楽座」
信長が初めて謳う「楽市楽座」
人口の増加がもたらす市の混乱
試行錯誤の段階だった加納宛て制礼

近世の先駆けといわれた「楽市」(安土)
安土はのぶながによる変革の象徴か
信長入部前の安土
信長が拠点を構えた理由
安土山下町中掟書を読み直す
信長が仰せ付けるものへ
変わる信長の交通政策
安土の行く末を占う商人たち
住人保護をしつこく強調
なぜ馬の売買だけなのか
都市法のひな型という評価の是非
長らく受容されてきた「楽座」のイメージ
「楽座」と「破座」は別のもの
「楽座」の特殊性を裏づける四つの証拠
座を「楽」にする「楽座」の仕組み
役銭を手放さない戦国大名
疲弊する商人たち
見えてくる「楽座」の本質
終章 「楽市楽座」がもたらしたもの
江戸時代以降の歴史と記憶を辿る
その後の石寺
その後の小山
その後の世田谷
その後の北野
その後の白子
その後の富士大宮
その後の荻野
その後の嶋田
その後の黒野
その後の金森
その後の淡河
その後の加納(楽市場)
その後の安土
「楽座」のゆくえ
消えゆく「楽市楽座」
「楽市楽座」の残照
おわりに/史料編/主要参考文献

楽市・楽座 らくいち・らくざ
安土桃山時代(戦国時代 後期)において、織田信長などの各地の戦国大名などにより、支配地の市場で行われた経済政策である。楽市令または楽市・楽座令とも呼称される。「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となった意味。
楽市令は諸特権の保障により自由な商売を認める市場振興政策であるとされる。「楽座」は楽市令の対象となった市場に限定して、座による商売の独占を否定し、楽市令をより強化する政策である。織田信長によって行われたものが有名であるが、六角氏や北条氏、今川氏の行った楽市令が出されていたとも 。
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