BOOK
聴竹居
── 藤井厚二の木造モダニズム建築 ──
── 藤井厚二の木造モダニズム建築 ──
大きくて見通しのよい居室、大パノラマが満喫できる縁側――。
近年、天皇・皇后両陛下も行幸啓されたことで話題となった理想の住宅。
各室の細部まで初公開づくしの公式ガイドブック。
著者:松隈章/写真:古川泰造/文:熊倉功夫、矢ケ崎善太郎
近年、天皇・皇后両陛下も行幸啓されたことで話題となった理想の住宅。
各室の細部まで初公開づくしの公式ガイドブック。
著者:松隈章/写真:古川泰造/文:熊倉功夫、矢ケ崎善太郎
聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築 内容詳細
「そこまでやるのか!」 藤森照信(建築家・東京大学名誉教授)
昭和の初め、“実験住宅”と称した家を何棟も建て、住み心地を検証し続けた建築家・藤井厚二。
「聴竹居(ちょうちくきょ)」は1928年(昭和3)、藤井が自邸として京都・大山崎の地に建てた最後の作品である。
日本の気候風土、和洋を融合させた空間構成は絶妙で、日本の住宅の理想形を実現した建築と認められるが、長らく知る人ぞ知る存在であった。本書はその全貌を克明に紹介、加えて八木邸など藤井が残した他の建築も網羅的に追う。
昭和の初め、“実験住宅”と称した家を何棟も建て、住み心地を検証し続けた建築家・藤井厚二。
「聴竹居(ちょうちくきょ)」は1928年(昭和3)、藤井が自邸として京都・大山崎の地に建てた最後の作品である。
日本の気候風土、和洋を融合させた空間構成は絶妙で、日本の住宅の理想形を実現した建築と認められるが、長らく知る人ぞ知る存在であった。本書はその全貌を克明に紹介、加えて八木邸など藤井が残した他の建築も網羅的に追う。
▶聴竹居の四季
▶日本人の理想の住宅を追い続けた建築家・藤井厚二と「聴竹居」
○「聴竹居」「八木邸」「後山山荘」見学案内
○藤井厚二 年譜
▶寄稿
▶日本人の理想の住宅を追い続けた建築家・藤井厚二と「聴竹居」
1.条件 2.気流 3.軒と庇 4.屋根 5.平屋 6.調和 7.窓
●一屋一室
8.居室 9.食事室 10.読書室 11.縁側
●客室と床の間
12.客室と床の間 13.調理室(台所) 14.和紙と障子
●閑室と下閑室
15.閑室 16.下閑室(茶室)
▶N邸茶室
●一屋一室
8.居室 9.食事室 10.読書室 11.縁側
●客室と床の間
12.客室と床の間 13.調理室(台所) 14.和紙と障子
●閑室と下閑室
15.閑室 16.下閑室(茶室)
にじり口/客座の窓/床の間/点前座/網代天井/水屋
▶藤井が手掛けた注文住宅「八木邸」
居間/食事室/調理室
○藤井デザインの家具
椅子/テーブル/暖房器具
室内を飾る藤井デザイン/「聴竹居」のディテール
○室内に調和をもたらす藤焼
室内を飾る藤井デザイン/「聴竹居」のディテール
花器/茶碗・菓子鉢・日常雑器/香合・皿・置物
○藤井厚二の生涯
「後山山荘」(福山市鞆町)/「喜多邸」(京都・北白川)
○参考――『日本の住宅』各論概説○「聴竹居」「八木邸」「後山山荘」見学案内
○藤井厚二 年譜
▶寄稿
「洋服を着た日本趣味」 熊倉功夫
「茶室を設計した建築家・藤井厚二」「酒徳という大工」 矢ケ崎善太郎
「母から聞いた祖父の思い出」 小西伸一
「茶室を設計した建築家・藤井厚二」「酒徳という大工」 矢ケ崎善太郎
「母から聞いた祖父の思い出」 小西伸一
京都府乙訓郡大山崎町に在る第5回目の自邸「聴竹居」は、建築家・藤井厚二が山林約4万㎡を購入し、道路、上下水道、電気等のインフラを整備し、第3回住宅、第4回住宅他様々な施設を造った谷田地区住宅地に唯一現存している建物。
「聴竹居」は、家族と暮らしたメインの建物である「本屋」、藤井の和敬清寂を愉しむ私的な空間である「閑室」、お客様を迎え入れた「茶室(下閑室)」の3つの建物から構成。
日本には、もともと四季ある気候風土に寄り添うように呼応し自然の材料で建ててきた木造建築の長い歴史があります。しかし、江戸から明治に移り開国した日本で近代化が始まると、それは西欧化と同時に進められ、昭和初期まで日本の気候風土や日本人の感性やライフスタイルとは無関係に直輸入の洋館や和洋折衷の住宅が次々と建てられていきました。
藤井は、そうした時代にあって、日本の住まいで伝統的に取り入れられてきた気候風土に合わせる建築的方法を科学的な観点から見直し、日本の気候風土と日本人の感性に適合し、欧米の椅子式のライフスタイルや家事労働を軽減する家電を備えた「日本の住宅」を追求、「環境共生住宅の原点」とも言われる最先端のモデル住宅を「聴竹居」で実現しました。
「聴竹居」は、家族と暮らしたメインの建物である「本屋」、藤井の和敬清寂を愉しむ私的な空間である「閑室」、お客様を迎え入れた「茶室(下閑室)」の3つの建物から構成。
日本には、もともと四季ある気候風土に寄り添うように呼応し自然の材料で建ててきた木造建築の長い歴史があります。しかし、江戸から明治に移り開国した日本で近代化が始まると、それは西欧化と同時に進められ、昭和初期まで日本の気候風土や日本人の感性やライフスタイルとは無関係に直輸入の洋館や和洋折衷の住宅が次々と建てられていきました。
藤井は、そうした時代にあって、日本の住まいで伝統的に取り入れられてきた気候風土に合わせる建築的方法を科学的な観点から見直し、日本の気候風土と日本人の感性に適合し、欧米の椅子式のライフスタイルや家事労働を軽減する家電を備えた「日本の住宅」を追求、「環境共生住宅の原点」とも言われる最先端のモデル住宅を「聴竹居」で実現しました。