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マルケヴィチ指揮 NHK交響楽団 1983
死去する2ヶ月前のマルケヴィチとNHK交響楽団との伝説の演奏会! |
マルケヴィチ指揮 NHK交響楽団 1983 収録内容
▶ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 交響曲 第6番 ロ短調 作品74 『悲愴』
・第1楽章 アダージョ-アレグロ・ノン・トロッポ・第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア
・第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
・第4楽章 アダージョ・ラメントーソ
▶モデスト・ムソルグスキー/ラヴェル編曲 組曲『展覧会の絵』
1.プロムナード-こびと2.プロムナード-古い城
3.プロムナード-チェイルリーの庭。遊んだあとのこどものけんか
4.ブイドロ。ポーランドの牛車
5.プロムナード-卵のからをつけたひなの踊り
6.サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ(金持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人)
7.プロムナード-リモージュの市場(言い争う女たち)
8.カタコンブ
9.バーバ・ヤガーの小屋(めんどりの足の上に立つ小屋)
10.キエフの大きな門
収録日:1983年1月12日/収録場所:NHKホール
■イーゴリ・マルケヴィチについて■
キエフ生まれだが、1914年に家族に連れられスイスに移る。楽才をアルフレッド・コルトーに注目され、1926年にコルトーに連れられパリに行き、ナディア・ブーランジェのもとで作曲家やピアニストとして薫陶を受ける。1928年にセルゲイ・ディアギレフの知遇を得るが、若い頃のレオニード・マシーンに似ていた当時のマルケヴィチはディアギレフの最後の恋人となったといわれる。1929年に《コンチェルト・グロッソ》がパリで初演されたことにより、作曲家として認知されるようになる。バルトークはマルケヴィチのことを「現代音楽では最も驚異的な人物」であると評し、自身の創作に感化を受けたと言ったという。ストラヴィンスキーと名前が同じだったことから、『イーゴリ2世』の異名を取る。1936年、ヴァーツラフ・ニジンスキーの娘キュラと結婚するが、1947年に離婚。
マルケヴィチは18歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、指揮者としてのデビューを果たしている。指揮者としてのマルケヴィチは、世界的にフランス音楽やロシア音楽のレパートリーで非常に尊敬されており、とりわけチャイコフスキーやムソルグスキーの解釈は評価が高い。また、ストラヴィンスキーや新ウィーン楽派のような20世紀音楽の演奏でも知られている。ベートーヴェンの交響曲全曲も得意のレパートリーだった。
指揮者としてのレコーディングは、1950~1960年代にドイツ・グラモフォン、フィリップス、EMIレーベルで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シンフォニー・オブ・ジ・エアー、常任指揮者を務めていたラムルー管弦楽団、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団などと行ったものが知られている。また、ピアニスト、クララ・ハスキルと共演したモーツァルトやショパンの協奏曲の録音が名高い。フルーティスト、オーレル・ニコレがベルリン・フィル在籍中に同オーケストラと録音したチマローザの《2本のフルートのための協奏曲》もマルケヴィチが指揮している。
1942年に病気を患い、以降作曲の筆を折る。その後イタリアに定住して1947年に市民権を取得している。同年にイタリア女性トパツィア・カエターニと再婚(オレグは彼女との間に生まれた子である)。第二次世界大戦中はパルチザン運動に身を投じた。1953年にはロンドンに転居し、1965年よりスペイン放送交響楽団で活動した。
1960年に旧日本フィルハーモニー交響楽団を客演し、ストラヴィンスキーの春の祭典などで当時の楽壇に強烈な印象を残した。以降度々来日し、最晩年にもNHK交響楽団などを指揮した。ダニエル・バレンボイムをはじめ、日本人では湯浅卓雄や高関健など、彼に師事した指揮者も多い。
1983年にアンティーブにて急死。