鏑木清方 かぶらき きよかた 1878年(明治11年)8月31日~1972年(昭和47年)3月2日
明治期から昭和期にかけての浮世絵師、日本画家、随筆家。
なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。近代日本の美人画家として上村松園、彼の門下より出た伊東深水と並び称せられる。清方の作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。
近代日本画壇において、美人画の大家として、上村松園と並び称された画家・鏑木清方。その繊細で清らかな女性像は、松園による、磨きあげられた玉のようなそれとはまた異なる魅力を湛え、とくに《築地明石町》は、清方の代表作であると同時に、近代日本美術の傑作の一つとしても名高い。しかし、彼自身は、「美人画家」と見なされることを限定的なものとして嫌い、なんとか抜け出そうともがき続けていた。実際に彼の画業を見渡すと、彼が手掛けたジャンルは美人画だけではなく、風俗画、さらには肖像画まで含まれ、その広さに驚かされる。