本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語 内容詳細
日本とフランスに生まれた二人の写真家に共通したテーマである、市井の人々に対する深いまなざしをこめた作品群の軌跡をたどりながら、生きることの本当の豊かさを見つめる。
編集:東京都写真美術館
本橋成一とロベール・ドアノー 目次
●図版
第1章 原点
第2章 劇場と幕間
第3章 街・劇場・広場
第4章 人々の物語
第5章 新たな物語へ
本橋成一 もとはし せいいち 1940年4月3日~
東京東中野生まれ。東京綜合写真専門学校卒業。「ナージャの村」で土門拳賞受賞。
1960年代から写真家としての本格的な活動を始め、現在に至るまで炭鉱や魚河岸、上野駅、サーカス、屠場など市井の人々をテーマにした作品を数多く残している。
また1998年、チェルノブイリ原子力発電所事故の被災地で暮らす人々を撮影した『ナージャの村』を初監督、映画監督としてのキャリアをスタートさせる。以降2002年『アレクセイと泉』、2006年『ナミイと唄えば』、2009年『バオバブの記憶』、2015年『アラヤシキの住人たち』と計5本の作品を監督。
またプロデュースを手掛けた映画作品として『水になった村』(2007年)、『祝の島』(2010年)、『ある精肉店のはなし』(2013年)がある。
ロベール・ドアノー Robert Doisneau 1912年4月14日~1994年4月1日
パリ郊外ヴァル・ド・マルヌ県ジャンティイ生まれ。カメラマン。コダック賞、ニエプス賞受賞。
1934年に結婚してオー=ド=セーヌ県のモンルージュに新居を構え、終生をそこで過ごした。彼が4歳のころ、父は第一次大戦で死亡し、母は彼が7歳の時に死去、彼はおばさんに引き取られるという、厳しい幼少期を過ごした。
その後フランス軍に入るが、1940年に結核を発症して除隊となる。第二次大戦中は自由フランスのレジスタンスに参加。1945年から1947年にかけてはフランス共産党に所属し、左翼系の芸術家たちとの交流を持った。
1949年にヴォーグ・フランス誌とフォトグラファーとして契約。ファッション写真を手がけつつ、夜な夜なロベール・ジローとともにパリの町中を歩き回って撮影を行った。パブロ・ピカソやジャン・コクトー、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなど多数の芸術家たちの肖像写真も手がけた。
1984年にレジオンドヌール勲章と Chevalier の称号を授与された。1994年4月1日に81歳で死去。
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