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BOOK

北条氏康の妻 瑞渓院
── 政略結婚からみる戦国大名 ──

北条氏康の妻 瑞渓院|学習と教育を支援する通販会社-YTT Net

 商品NO:BSH-530
 四六判/290頁/発行:2017.12

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北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚からみる戦国大名 内容詳細



名門今川家の出にして、関東最大の戦国大名・北条氏康の正妻。彼女を中心とした婚姻関係が北条家の動向に及ぼした影響をたどる。
大名家の正妻の在り方を問い直す。名門今川家で寿桂尼の子として生まれ、北条氏康に嫁いだ女性。その生い立ちは、関東最大の大名北条家の歩みにどう影響をしたのか。当主中心の歴史とは異なる視点から、戦国大名家の具体像に迫る。
   著者:黒田基樹

目次

第一章 実家・今川家の人びと
・名家・今川家の生まれ
・クーデターで今川家当主となった父・今川氏親
・「女戦国大名」の異名で知られる母・寿桂尼
・瑞渓院の兄弟姉妹たち
・寿桂尼を生母とする「嫡女」の長姉 ・吉良義堯妻
・「嫡子」でありながら早逝した長兄・今川氏輝
・寿桂尼の実家当主に嫁いだ次姉・中御門宣綱妻
・足利氏に倣って出家した次兄・「花蔵殿」玄広恵探
・嫡出の「次男」だった三兄・今川彦五郎
・今川家御一家衆の名家に嫁いだ妹・瀬名貞綱妻
・庶出の可能性が高い家督継承者、弟・今川義元
・今川家における瑞渓院の位置
第二章 夫・氏康と子どもたち
・北条氏康に嫁ぐ
・北条家は今川家と同等になる
・北条氏綱と今川氏輝の共闘
・北条氏康の子どもたち
・母瑞渓院の実父と実名が同じ長男・新九郎氏親
・当初、後継者のスペアだったのちの当主、次男・氏政
・御一家衆筆頭の立場にこだわった三男・氏照
・今川家に人質として送られた四男・氏規
・重責の地位を与えられた庶出の五男・氏邦
・養子縁組した上杉家で家督を争った六男・景虎
・養子・氏忠と氏光
・相模国東部を支配する有力御一家衆に嫁いだ長女・七曲殿(北条氏繁妻)
・下総国の最大勢力にして名門家に嫁いだ次女・千葉親胤妻

・上杉家と北条家の狭間に揺れる太田家に嫁いだ三女・太田氏資妻(長林院)
・瑞渓院の実家、今川家に嫁いだ四女・早川殿(今川氏真妻)
・関東将軍古河公方足利家に嫁いだ五女・足利義氏妻(浄光院殿)
・長篠合戦ののち、武田家に嫁いだ六女・武田勝頼妻(桂林院殿)
・北条家の存立を左右する瑞渓院の実子たち
第三章 北条と今川の狭間で
・今川氏輝・彦五郎の急死
・「花蔵の乱」の勃発
・内乱での寿桂尼の立場
・北条氏綱の進軍
・「河東一乱」の勃発
・なぜ「河東一乱」は起きたのか
・北条氏康の代替わり
・足利義晴の和睦要請
・寿桂尼の和睦要請
・疑心暗鬼の和睦関係
・三国軍事同盟の構想
・新九郎氏親の死去
・氏政の婚約
・早川殿の婚儀
・氏政の婚儀
第四章 北条家の御前様
・御前様として
・相次ぐ子どもたちの婚儀
・氏照の境遇変化
・駿河での氏規の生活
・氏康から氏政へ
・氏規の帰還と氏照のアピール
・駿河での早川殿
・今川と武田のすきま風
・寿桂尼の影響力
・駿府からの逃避行
・氏政の離婚
・氏照・氏邦の上杉家との同盟交渉
・国王丸の今川家継承
・小田原での氏真夫妻
・古河公方家の領国復帰
・瑞渓院の戦勝祈願
・北条氏康の死去
第五章 子どもたちとの別れ
・御太方様になる
・早川殿との別離
・重病を患う
・婿・氏繁の死去
・氏邦との養子縁組
・氏照・氏邦の後継者
・小田原城内での自害
・氏政・氏照の自害

▶瑞渓院 ずいけいいん 生年不詳~天正18年6月12日(1590年7月13日)
北条氏康の正室。瑞渓院は法名で、実名は不詳。父は駿河国守護今川氏親。母は寿桂尼。兄弟に今川氏輝、今川義元、今川彦五郎。異母兄に玄広恵探。子に男子は、夭折した長男新九郎(氏親、天用院殿)、次男で嫡子の北条氏政、三男北条氏照、四男北条氏邦、五男北条氏規。女子では今川氏真室の早川殿、足利義氏室の浄光院殿の母とされる。天正18年(1590年)6月12日、豊臣秀吉による小田原征伐の際に死去。氏政継室の鳳翔院殿と同日であることなどから、自害の可能性。法名は瑞渓院殿光室宗照大姉。
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