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BOOK

昭和50年代東京日記
── city boysの時代 ──

昭和50年代東京日記 city boysの時代 |学習と教育を支援する通販会社-YTT Net

 商品NO:BSH-847
 四六判/344ページ/発行:2023.9


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昭和50年代東京日記 city boysの時代 内容詳細



大学入学、就職、そして独立へ──。
著者・泉麻人激動の10年間は時代の変革期でもあった。雑誌、音楽、テレビ、映画……
さまざまなカルチャーから時代を照らすロングエッセイ。
 著者:泉麻人


目次 昭和50年代東京日記 city boysの時代


1. 憧れのリーバイス501は「バチヘビ」に似ていた
―― 昭和50(1975)年
2. 「宝島」も<city boys>がキーワードだった
―― 昭和50(1975)年
3. 渋谷道玄坂ウラに濃いアメリカがあった ―― 昭和50(1975)年
4. 荒井由美、シュガーベイブ、そしてゴー・ゴー・ナイアガラ
―― 昭和50(1975)年
5. 村上龍は「ナイアガラ」を聴いていただろうか?
―― 昭和51(1976)年
6. 「セブンスターショー」のティン・パン・アレー
―― 昭和51(1976)年
7. 「ポパイ」の創刊と謎の「わかもの出版」 ―― 昭和51(1976)年
8. アグネス・ラムとキャンディーズがアイドルだった。
―― 昭和51(1976)年
9. 資生堂とパルコのCMを待ちかまえていた。 ―― 昭和52(1977)年
10.「パロディーCMの寵児」になってしまった。
―― 昭和52(1977)年
11.葉山の真夜中の海辺で近田春夫がDJをしていた。
―― 昭和52(1977)年
12.湘南カウンティの夏は過ぎてゆく。 ―― 昭和52(1977)年
13.つかこうへいの芝居は刺激的だった。 ―― 昭和53(1978)年
14.リクルートカットのモラトリアム世代。 ―― 昭和53(1978)年
15.銀座裏の広告学校と「北欧」の佐野元春 ―― 昭和53(1978)年
16.翔んでる女はディスコでフィーバー ―― 昭和53(1978)年
17.三田の学生街のことも書いておこう。 ―― 昭和54(1979)年
18.ラスベガスのコールガールに「お守り」を渡した。
―― 昭和54(1979)年
19.入社した「TVガイド」は霞ヶ関にあった。 ―― 昭和54(1979)年
20.ウォークマンを装備してNHKへ通った。 ―― 昭和54(1979)年
21.深夜のTBSラジオで<泉麻人>は誕生した。 ―― 昭和55(1980)年
22.「クリスタル」の衝撃とミーハーチックな連載コラム
―― 昭和55(1980)年
23.NHKの愉快な人々① ―― 和田勉の笑い声が聞こえていた。
―― 昭和55(1980)年
24.NHKの愉快な人々② ―― レッツゴーヤングの女王様
―― 昭和55(1980)年
25.いたいけな「ぼんちシート」騒動 ―― 昭和56(1981)年
26.懺悔の後にDOWN TOWNを ―― 昭和56(1981)年
27.香港弾丸旅行と「愛のコリーダ」の夏 ―― 昭和56(1981)年
28.大日本印刷出張校正室と印刷工場の職人 ―― 昭和56(1981)年
29.麹町の泉屋で田原総一朗の原稿を受け取った。
―― 昭和57(1982)年
30.ビデオデッキを買った頃、TV誌戦争が始まった。
―― 昭和57(1982)年
31.新雑誌ビデコレと築地小田原町の風景 ―― 昭和57(1982)年
32.飯倉のキャンティで田中康夫をインタビューした。
―― 昭和57(1982)年
33.霞町のカフェバーでワンレンが髪をかきあげていた。
―― 昭和58(1983)年
34.浦安のディズニーランドとホテル「1983」 ―― 昭和58(1983)年
35.ジェニファー・ビールズも石田エリもレオタードを着ていた。
―― 昭和58(1983)年
36.「スリラー」のPVがクリスマスイヴに流れた。
―― 昭和58(1983)年
37.東京によく雪が降った冬、三浦君と出会った。
―― 昭和59(1984)年
38.スキゾなモーツァルトもけっこういい。 ―― 昭和59(1984)年
39.東銀座の料亭街の喫茶店で辞表を提出した。
―― 昭和59(1984)年
40.原宿のワンルームでピーという音が鳴っていた。
―― 昭和59(1984)年
あとがき

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泉麻人 いずみ あさと 本名:朝井泉(あさいいずみ)、1956年4月8日~

日本の作家、コラムニスト、気象予報士。慶應義塾大学商学部卒業。大学商卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表する一方、テレビにも出演しコメンテーター、司会等を務める。〈天気予報好き〉が嵩じて気象予報士の資格を取得。著書に『大東京23区散歩』『カラー版 東京いい道、しぶい道』、小説『還暦シェアハウス』など多数。

大学卒業後の1979年(昭和54年)4月に東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』の編集部に配属され、NHK担当を約2年務める。編集部の仕事のかたわら、会社に内密で平凡出版(現マガジンハウス)の『POPEYE』などでコラムの執筆を開始する。
1984年(昭和59年)7月に退社してフリーランスとなる。同年10月、作家・田中康夫との共著で『大学・解体新書』を刊行。また同年秋から1994年(平成6年)までの長期連載となる『ナウのしくみ』を『週刊文春』(文藝春秋)に連載を開始し、初期の泉を代表する仕事となる。
また、1986年(昭和61年)TBSのバラエティー番組『テレビ探偵団』に本名でレギュラー出演し、「私だけが知っている」のコーナーを担当した。1998年(平成10年)にはみうらじゅんプロデュース、自身の作詞作曲により『IZUMIN』名義でソロシングルCD「コラムで行こう!」をリリース。カップリングには自身が高校時代に作った曲「25時のシンデレラ」が収録された。さらに天気予報好きが高じて、2005年(平成17年)には気象予報士資格を取得し、その顛末を『お天気おじさんへの道』に著した。
自分の青春のアイドルは栗田ひろみであると公言していた。人生で多くの影響を受けた人物は吉田拓郎。石破茂は高校2年時のクラスメートである。娘はフリーライター・コラムニストの朝井麻由美。


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