希望のありかに目を凝らし、非日常を遊ぶ――。
パンデミックや戦争といった目に見えぬ脅威にさらされる欧州ベルリンに暮らす、「感覚体験デザイン」の国際的先駆者である著者・阿部雅世。
日々の暮らしのなかの微細な環境の変化を鋭敏に知覚し、そこから導きだした、新しい時代を生きるための生活哲学について、エッセイと写真で語りかける一冊。
著者:阿部雅世/編集:谷口真佐子
<はじめに>より
自分の中にあって、目に見えないもの────直観、喜び、希望、良心。見えない脅威に取り囲まれて生きる時代に、体内のどこからか湧き出してきて、普遍的に身を守ってくれるもの。それは、いったいどこにあるのだろう。どうしたら活性化できるのだろう。
そんな長年の問いを抱えたまま、パンデミックという目に見えぬ特大の嵐で始まった環境災害の時代に飛び込んでしまい、その中で閉門蟄居をもう二年以上も続けている。それは、自分が静止することで、初めて見えるものがあることを知る、今までに体験したことがない不思議な時間だ。
平和な国境越えの自由を謳歌し、何十年も走り続けてきた自分を、期限を決めずに静止させる。そして、半径五百メートルほどの小さな世界の中で、目を凝らしてみる。すると、顕微鏡の解像度が、日に日に上がっていくかのように、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。風に舞う木の葉のような一瞬の環境の変化が、スローモーションのコマ送りのように見えたり、今さえずった鳥の声が、遠くのどの声と会話しているのかがわかったり、野鳥の巣立ちの瞬間を見てしまったり、あるいは、不思議なほどなんども、頭上を通過する渡り鳥の大群に遭遇したりする。それは、ずっと目の前にあったのに、見えていなかったものを、知覚する時間だ。立ち止まる時間が、かくも濃厚な時間だと知らずに、半世紀以上もせかせかと走りながら生きていたとは、なんというか愚かしいことであったか。この終わりの見えない嵐は、自分がこれから、どうやって見えないものと共に生きていくかを、よくよく見極めるためのチャンスなのだろう。
ひとりのじかんについて。希望のありかについて。星の目で見ることについて。非日常を遊ぶことについて。持続可能な暮らしの心得について。良心を再生させることについて。これは、私が不思議な時間の中で知覚した、これからの時代を生きるための生活哲学についての忘備録だが、私よりずっと若い誰かが、いつか嵐の中で立ちすくんだ時に、役に立つじちもあるかもしれない────そう思い立ち、私の前に姿を現し、大事なことを教えてくれた小さな生きものたちの写真と共に、それを本という「永遠の手箱」に納め、未来を生きるあなたへの贈りものとすることにした。心ばかり、気づきのおすそ分けです。
見えないものを知覚する これからの生活哲学 目次
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ひとりのじかん
嵐の中の静けさ
生きる力の湧き出づる時
持続可能な暮らしの心得
おいしい備蓄
箱庭の中の小宇宙
生きとし生けるものの庭
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