幕末明治大地図帳 輯製二十万分一図
明治政府による地図「輯製二十万分一図」がデジタルリマスターでカラー化
約8万の旧町村名を掲載した豪華大地図帳として復活!
監修:清水靖夫、今尾恵介
編集:平凡社地図出版/A3判/上製/ケース入/368頁(内カラー200頁)
日本地図史上に燦然と輝く金字塔が、令和によみがえる―――。
幕末明治大地図帳
輯製二十万分一図とは?
明治政府が「伊能図」と「国絵図」を合体させてつくった伝説の地図
輯製二十万分一図 しゅうせいにじゅうまんぶんのいちず
※伊能図 伊能忠敬(1745~1818)が全国を実測し作成した、日本で初めての科学的地図。
※国絵図
江戸幕府が大名に作らせた国ごとの絵図。天保国絵図は重要文化財として全図が現存。
※帝国図
明治政府が近代測量により作成した20万分の1図。
5万分の1地形図(基本図)より編集された。
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伊能図をベースに当時の最新知見を集成して作られた地図を、現代版にヴァージョンアップ!
- 着色により、地形や街道、旧国名・県名が見やすく鮮明に
- 約8万もの行政地名を収録した索引付き
- 地図帳に製本してあるから、調べやすい。一冊で全国がわかる
- 歴史を知る基本史料として価値を発揮
刊行に寄せて
現在に連なる貴重な資料! 清水靖夫(一般社団法人 日本地図センター研究顧問)
明治維新後、国土の防衛、経済の発展を目ざし、最初に全国同一の縮尺で作成されたのが「輯製二十万分一図」であった。明治10年代に入り、三角測量などによる地形図類の作成も始まるが、日本全域の完成までには50年以上が必要であった。参謀本部の陸地測量部(国土地理院の遡源)ではドイツに倣い、20万分1の縮尺(地図上の5cmが地表の10km)で、明治17年(1884)年から作成が開始された。伊能図、幕府の国絵図など集められる限りの資料により本図群を編集した。当時作成されていた迅速測量図等の資料も利用している。本図中の地名、交通路の記載は、往時から現在に連なる貴重な史料であり、現在の地形図・地勢図などとの比較は、大きな示唆を与えてくれる筈である。地図に色彩を加えたことで、読み易くなった筈である。
幕末明治日本の真の姿が浮かび上がる! 今尾恵介(一般社団法人 日本地図センター客員研究員)
地道な測量と精緻な素描によって1面数年がかりで完成する地形図。しかし殖産興業をモットーとする明治日本はその完成を待っていられなかった。取り急ぎ広域を概観できる地図への要請が高まり、そこで当時用意できる最高の地図資料として伊能図「大日本沿海輿地全図」を活用することになったのである。ただしこの図は海岸線と主要街道のみの「線情報」に限られるため、空白部を埋めるのに用いたのが江戸期の「天保国絵図」、海軍の海図、内務省地理局などによる諸資料であった。これが「輯(あつ)めて製した」輯製図の由来である。「帝国図」が完成するまでの暫定的位置づけであったが広域一覧の需要に力を発揮し、黎明期の民間地図の発展にも大きく寄与し、大正期までその重責を果たし続けた。泉下の伊能忠敬も自らの渾身作が国の骨格図として100年を超える風雪に耐えたことには感無量だろう。これら輯製図を全国揃えたこの画期的な地図帳によって、幕末明治日本の真の姿が浮かび上がってくるに違いない。
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